人生において、誰かに足を引っ張られることって、ありますよね。
友達、職場の上司・先輩・後輩・同期、、、身の回りの誰かの黒い感情をもろに感じる経験、きっと誰しも一度はあるんじゃないでしょうか?
今回はその際の心の整理の仕方や考え方についてお話したいと思います。
まずは感情を発散しよう
足を引っ張られた時にまずすべきこと、それは感情の発散です。
これを読んでいるみなさんは、それぞれ異なる状況、相手(関係性)を思い浮かべていると思いますが、湧き上がる感情は、悲しい、やるせない、悔しい、怒り、、、そういうものですよね。
それを発散しないと、状況を冷静にみることができません。
ということで、おすすめの発散法は、、、
- 布団からほとんど出ない
- 涙枯れるまで、泣く
- ランニング、筋トレ
- 食べまくる
- 衝動買いをする
- 趣味や好きなことに没頭
- 「人生色々あるよね」「けど、きっとなんとかなるよね」系のメッセージ性のある音楽を聞く
なぜ足を引っ張るのか?
さて、感情が少しずつ落ち着いてきたら、次は足を引っ張られた原因について、考えてみましょう。
まず、足を引っ張ってくる人はどんな人なのか、考えてみたいと思います。
足を引っ張ってくる人間は2種類いる
まず、足を引っ張ってくる人は大きく2種類に分けられます。
人間の心は、必ずしもひとつの感情が100%という訳ではなく、何かの行動の裏には色々な感情が入り混じっていると思いますが、、、
結果的にあなたの足を引っ張る行為(引っ張られたと感じる行為)の裏にある背景が、
- 意見や考え方の違いであり、結果的に足を引っ張られる形になったのか
- 陥れてやろうという意図なのか
この2つに分かれる気がします。
①②どちらの場合においても、あなた自身に問題はなくても、原因はあります。
その原因について考えていくこと、それが今後の人生において、とても意味のある行為であり、人から足を引っ張られるという経験をした意味なのかなと思います。
①の場合は、、、まぁしょうがなかったですね!(笑)
悲しいけど、辛いけど、、、
人間の価値観は、多様です。
それぞれの正義がぶつかって、結果足を引っ張られてしまうことは、歴史をみれば顕著です。
人間、というか動物の宿命ですね。
問題は②の場合、つまり、意図的に足を引っ張られた時、今回はそこに焦点を当てて考えていきたいと思います。
意図的に足を引っ張ってくる人の心理
では、意図的に足を引っ張られた際、そこにはどんな心理があるのか、考えていきたいと思います。
まず、足を引っ張るという行為は、
①他人の前進や成功をさまたげる。
(引用元:精選版 日本国語大辞典)
という意味です。
他人の前進や成功を妨げる、それが起こる原因は、ずばり不安です。
才能、能力、美貌、学歴、家族(交際相手)の状況、職場での出世、金銭の状況など、
他人に自分より優れている・恵まれている要素を感じた時(事実は違うことも多々あり)、そこに不安が生まれ、それが恐怖や嫉妬の感情になる。
その恐怖や嫉妬から自分を守るため、自分が同じ位置に行く努力をするのではなく、相手の足を引っ張ることでバランスをとろうとするのです。
特に日本人は遺伝子的に、幸せホルモンと呼ばれる「セロトニン」の分泌量が少ない方が多く、結果不安を感じやすいタイプの人が多い。
だからこそ足の引張り合いが起こりやすいです。
そして、組織においては、出る杭を打つという文化に繋がっていくのです。
【まとめ】足を引っ張ってくる人とは
つまり、意図的に足を引っ張る人とは
「セロトニンの分泌量が少ない人」→「人と比べることによって不安要素を感じ易い人」→「嫉妬心を感じやすい人」
という意味で生まれ持った性質の部分がまず要因としてあるわけです。
そして、それを理性や自律心で制御しない・できない結果、足を引っ張るという行為に発展してしまうのです。
足を引っ張られないために
では、足を引っ張られない為にはどうすればいいのでしょうか?
ぶっちゃけ足を引っ張られるって結果論で、引っ張られるまでわからないですよね。
だから、個別の対策法を考えるの無意味で、まずは習慣を変えることが大切です。
他者にとって不安要素になりそうな内容=出世、家庭環境、家族の状況、恋人とのこと、学歴、、、などについて極力自分の口からは語らない
これを意識していくのです。
人間には自己顕示欲があり、自分の持ってるもの、してきた経験をつい口に出してしまう本能があります。
ですが、それって、ぶっちゃけ他者からしたらどうでも良いことの方が多くて、むしろ相手に不安感や羨ましいという感情を植え付けてしまう可能性もあります。
場合によっては、足を引っ張るという行為に結びついてします。
だから、周りのみんなが気持ちよく過ごせるように、自分をよく見せたい、幸せな出来事を口に出したい、そういう深層心理からくる言動がないか、自分を客観視する習慣をつけることが大切なのです。
これは嫉妬心から自分を守る手段というよりは、周りが見える人間・相手への配慮ができる人間になるという意味で自己研磨の1つとも言えます。
よくマウンティングのように、自分を優位に立たせようとする人もいますが、
そういう時は応戦するのではなく、その方が気持ち良く話せるように相槌を打っておけばいいんです。
一瞬の対抗心や自己顕示欲を満たす為に言葉を発することになんの意味もありません。
だって、話そうが話さないが、あなたの持っているもの、やってきたことは変わらないんですから。
相手の為にも、自分の為にも、幸せなことほど自分の胸の中に大切にしまっておき、本当に信頼できる大切な人とだけ共有すればいいと思います。
勝手に恵まれてると勘違いされるパターンもありますよね。
苦労して、ボロボロになりながら、必死で歩んで来たのに、その結果だけ見られて妬みの対象にされ、足を引っ張られる。
本当~~~に迷惑な話です(–)笑
そういう場合は、、、まずあなたの人生は他人が羨ましくて仕方ない程キラキラ輝いて見えるということです。
他人からなぜか足を引っ張られるというのことは、成功の証です。
まずは、そこまで頑張ってきた自分を認め、褒めてあげましょう!
とはいっても、やられている方は辛いし悲しいし、、、そっかぁ私ってそんなに輝いて見えるのかぁで片付けられるはずありません。
次の章では、その際の咀嚼法について考えていきましょう。
足を引っ張られた時の感情の整理の仕方
結構コテンパンにやられた~というあなた。
その場合は、まず号泣するなり、ダッシュするなり、寝込むなりで溢れ出る感情を発散しましょう。
怒りのパワーって、シンプルに運動エネルギーに変換されやすいと思います(笑)
こんなに込み上がる感情って、なかなかないと思うので、有効に利用させていただきましょう。
そして、もう少し冷静に考えられるようになるのを待ちましょう。
足を引っ張ってきた相手への感情の整理の仕方
さて、冷静になってきたら、次は足を引っ張ってきた人への感情を整理していきましょう。
整理の仕方は、ずばり「かわいそうだな」です。
筆者は人をかわいそうと勝手に決めつけることは失礼なんじゃないかなと思うんですが、この場合は、「かわいそう」と心から思うことにしています(・へ・)
この人は、人の足を引っ張ることで、バランスをとる、そんな卑しい道を歩んでしまっているんだと(..)笑
そんな道に堕ちてしまった人は、きっとこの先、真にキラキラ輝くことはできません(–)笑
程度の差があるにせよ、誰しもが他者に対して羨ましいという気持ちがあります。
その時に取るべき行動は、近づくための努力です。
綺麗な人がいたら自分も綺麗になる努力をすればいいし、
出世した人がいたら自分を出世する努力をすればいい、
お金持ちがいたら、自分も今よりお金を稼ぐ努力をすればいい。
実際はこんなに簡単ではないけれど、ある意味シンプルなことです。
それを、自分自身努力をすることなく、相手の足を引っ張ることでバランスを取り、羨ましさや妬みを抑える
そんな卑しいやり方を覚えてしまった人は、真に自分を磨き続けることができません。
どんなに繕っても、そういう悪事は必ず誰か見ているし、そういうマインドは、言葉の節々に必ず現れます。
人のことを妬んだり羨んだりする気持ちを悪口で表現している人の顔って、どんなに繕ってもどこか意地悪そうに歪んでいます。
だから、
「かわいそうな人。自分はこんな人間には絶対ならない!」
そうやって大いに反面教師にしてやりましょう。
でも、相手をかわいそうと思うだけでは、整理はつきませんよね。
そこで、ここからは足を引っ張られどん底に堕ちたことのメリットを考えていきましょう。
足を引っ張られたことの意味・メリット
どん底はチャンス!
ズタボロになった状態って、その時は本当~~~にしんどいけれど、必ず人生の転機になるんですよね。
ゼロとかマイナスになった状態って、
「どう生きていきたいのか」
「どうなりたいのか」
「何が大切なのか」
自分ととことん向き合い、自分の価値観を問い直すことになります。
そうやって人生の目標・優先順位を見直すことは、軌道修正をしたり、パワーを爆発させる絶好のチャンスです。
こんなチャンスって、どん底の時くらいしかないと思うんです。(超意識高い系を除く)
成功者と呼ばれる人の中にも、まさにどん底から這い上がったという方は沢山います↓
- ハリーポッターの著物のJ・K・ローリング氏は、夫と離婚し、実母が亡くなり、収入がない中、生まれたばかりの娘を抱えて、生活保護を受けながら書いた小説が『ハリーポッター』
- カーネル・サンダースは、40以上もの職を転々とし、経営したガソリンスタンドが倒産し、うつ病になり、次に経営したレストランが火事になり、多額の借金をし、、、のちにケンタッキーの創始者となる
どん底にいると、なんだか自分だけが道を外れてしまったような、暗闇に一人ぼっちみたいな気持ちになりますが、
実際は多くの人がどん底を経験し、それを転機に人生をより輝かせてきたのです。
どん底だと人の本質が見える
どん底に落ちると、周りにいる人の本質がよく見えます。
心配してくれる人、心配している風の人、他人の不幸は蜜の味の人、、、
相手の言葉選びや表情から、その人の心がひしひしと伝わってきます。
どん底の時に心から親身に寄り添ってくれる人って、本当にわずかです。(寄り添う風の人はたくさんいます)
そりゃあ、誰しもすべての他者に感情移入できる訳ではないので、上辺だけの励ましや他人の不幸は蜜の味も、言ってみれば当たり前です。
逆に、本当に親身に思ってくれる人は、あなたのことを心から大切に思っている人か、あるいは同じ痛みを味わったことがある人です。
そう思うと、どん底って、
- 社会の厳しさ、人の冷たさを痛感する場であり、
- 本当に大切にするべき縁を再確認する機会であり、
- 人間としての器を広げ、心の声に向き合うチャンス
なのです。
①②③をまとめると、つまり、人生の舵を取り戻すってことだと思います。
痛みを知って、社会の厳しさ・冷たさを思い知って、その分だけ強く優しくなって、人生において大切なものを見つめ直す
この過程の中で、人にみせるための「見栄えの良い人生」から「自分の意思や心に従う人生」への転換が起こります。
もしあなたが今、足を引っ張られたことでどん底に堕ち、苦しみながら思いを巡らせているとしたら、
それは、死ぬ前に頭に浮かぶ「もうちょっと〇〇すればよかった」そんな後悔の種を潰している素晴らしい時間なのです。
どん底の人間は言葉の影響力が違う
あとは、どん底になると言葉の他者への影響力が爆上がりします。
筆者はこの令和の時代において、真面目に働いていて会社をクビになるという漫画の世界のような状況にかつて直面しましたが、
その際は、人を励ます能力が格段に上がりました(笑)
彼氏ができないと嘆く友達に
「大丈夫、なんとかなるから」ゆっくり一言そういうだけで、
「そうかぁ」「言葉の重みが違う」
そんな空気感になります。
こっちとしてはあまり深く考えずにいってる「なんとかなる」ですら、
外から見るとあきらかになんとかなっていない人のなんとかなるほど、心にしみるものはないようです。
今、どん底真っ最中のあなた。それはきっと、今後の人生をもっと輝かせるチャンスです!