人生とキャリア

社会は理不尽? 理不尽の対処法や社会を生き抜くための考え方について

社会は理不尽である

それはすべての社会人が必ず痛感するテーマです。

今回はこの「理不尽」を皮切りに、

20代後半のまだまだ未熟な筆者が、これまでの経験(自他含む)から学んだことを率直に、自分の言葉でまとめてみました。

社会人になりたての方、そして社会の荒波にもまれて、もがき苦しんでいる方の心に寄り添い、少しでも力になれればなぁと思います。

社会は理不尽に溢れている

社会は理不尽?

社会人は、理不尽との闘いだよ」

社会人になる前、社会人の先輩からそう言われたことがあります。 その時は、「そうなんですねー」と軽く笑い飛ばしていたけれど、今は、その言葉の意味がわかります。

社会は理不尽に溢れています

学生の頃は、教育機関の中で、守られる立場にあり、それほど理不尽を感じたことはないかもしれませんが、そこから一歩外に出ると、時に理不尽が大きくのしかかってきます。

人間として、正しいことを言っても、やっても、相手の気持ち次第で、いかようにも捉えられ、追い詰められ、傷つけられる、そんなことがあります。

特に、企業に属すると、役職という上下関係があります。

会社という箱の中において、役職=力です。

それは、正しさよりも大きな力を持ちます。

役職は力であり、正しさである そういう環境も少なからずあるのです。

社会は理不尽だから、諦めてくださいではなく、社会は理不尽なことがあるということを前提に、たくましく歩んでいきましょう、ということです。

あひる
あひる
もちろん、企業や集団のすべてが理不尽なわけじゃないよ。

しずく坊や
しずく坊や
いい人もたくさんいるしね。

素直さがなにより大切

理不尽の被害を被ることを防ぐための手段ともなり得るものが1つあります。

それは、素直でいることです。素直というのは、具体的に何なのでしょうか?

・人の意見をしっかりと聞き、受けとめる

・教えてもらえたことに感謝の気持ちを表す

・自分の非や至らなさを認める

これらの行為が当てはまるのだと思います。

これが出来ていいると、理不尽にあう確率が少なくなります。

やっぱり素直な部下はかわいいのです。

がっかり ロボ
ここまで

素直さを理不尽に合わないための手段の1つのように紹介して参りましたが、素直であることには、もっと大切な利点があります。

それは、成長です。素直な人間は成長します。なぜなら、吸収し、改善する力が強いからです。

素直であると、自分の言動や行いを振り返り、反省し、受け止め、次に生かすことが出来ます。仕事においても、そして人としても成長できるでしょう。

 

また、人に好かれることで、チャンスが回ってきやすくなると思います。

 

ですが

この素直さとは、頑張っているときにこそ、見失いやすいものです。

頑張っているからこそ、よく見られたい、注意されたくない、自分は出来ているはずだ

そう思ってしまうからです。

だからこそ、常に確認しておきたいものです。

自分の属する集団・企業の文化を客観視する

人ごみ

今度は、素直とは少し逆のことを言います。

企業にはそれぞれ文化があります。そして、その世界でのタブーや考え方のルールがあります。

ですが、それはあくまでそのフィールド内の文化であり、世界共通の真理ではありません。

ただ、ある企業や集団に属すると、それが世界のすべてに見え、知らず知らずのうちにその考え方に染まってしまい、考えることをしない人間になってしまう可能性があります。

素直さ、つまり相手のいうことをしっかりと聞く姿勢は大切ですが、

素直でいるほど、上司、先輩、目上の方のいうことを全てうのみにしてしまいやすくなるのです。

それは、少し危険です。

なぜなら、先輩も上司も人間であり、間違えるからです。

だからこそ、素直さを大切にする一方で、それを客観的に捉え、本当に正しいことなのか判断する力、また今の自分や周りの状況について客観視する姿勢も必要なのだと思います。

自分が思っているほど他人はあなたを知らない

人ごみ

社会の中で生きていく中で、色んな言葉を掛けられる機会があります。

それは、本当にありがたいことです。

ですが、中には、どうしても府に落ちないものもあります。

例えば

Aさんが、身近な人を亡くして、職場でなんとなく元気がなかったとしましょう。

それを見たBさんが「プライベートを仕事に持ち込むなんて、意識が低すぎる」と言ったとします。

その時、Bさんが頭の中で考えていたのは、自分が彼女に振られたけど、それを顔に出さずに働いた経験でした。

この場合、Bさんの発言は適切だったでしょうか?

たしかに、Bさんの発言は、正論だとは思います。ですが、人として正しい、あるいは適切な表現だったかと言われると、そうではないと思います。

なぜなら、

・相手の状況を深く理解ぜずの発言だから

・身近な人の死を乗り越えて会社に来ていることを考慮できていないから

・Aさんの悲しみに追い打ちをかけてしまっているから

などでしょうか。

 

つまり、人間は自分の目で見える状況を、自分の知識や経験を材料に判断します。

逆にいうと、自分の目に見えていない背景自分の経験していないものは、そこに考慮されていません

みんなそれぞれ、自分の人生の主人公です。

だから、脇役であるあなたの人生のすべてを把握してはいないのです。

だからこそ、人から言葉を頂いた際には、まずはその言葉を受けとめ、感謝し、自分を振り返ることが大切ですが、

それでもやっぱりわからないと思ったら、そっと受け流すことがあってもいいのだと思います。

また

逆のこともいえます。

自分の人生で起こるすべてのことを把握している人は、自分以外いません。

だからこそ、自分が誤解されたり、自分の状況をわかっていないような発言をされた時

それはある程度しょうがないことであり、原因は、相手だけにはない、自分にもあるということです。

そこに自分はこんな状況なんだから、わかってよ」という甘えはなかったのか?考える必要があると思います。

お互いが『テーマ:自分』の人生の主役として生きている以上、相手を見るときに、そこに主観が入ってしまうのは、当たり前のことです。

つまり、相手が神様のように自分の状況のすべてを知っていて、それに対して正答な言葉を掛けてくれると期待するのは、幻想であり、甘えです。

しずく坊や
しずく坊や
筆者はかつて、幻想を見て、甘えていました。

そこに期待してしまうと、自分が辛くなってしまいます。

だからこそ、自分を知ってもらう努力が必要ですし、時に理不尽とも思う言葉を掛けられたとしても、それはそう見せてしまった自分にも反省の余地はあるというわけです。

どん底こそ、チャンス

女のコ

社会人をしていて、あるところで歯車が狂い、うまくいっていたものがうまくいかなくなることがあります。

なんで、自分だけ?そう思ってしまうと思います。

ですが、考えてみてください。

こんなに自分自身について、自分の仕事について、自分の周りの人たちについて、考える機会が今までの人生にあったでしょうか?

例えば

会社で上司とうまくいかない、そしてそれがあなたの評価に悪い影響を与えているとしましょう。

その場合、あなたは次のようなことを考えるでしょう。

・どうして自分の評価が悪いのか

・自分に足りないものは何なのか

・それは解決できるのか、また解決する意義はあるのか

・そもそも、自分のやりたいこと・欲しいものは何なのか

・それは、このフィールドで実現するべきなのか

これは、うまくいっているときは、なかなか考えないことです。

だからこそ、うまくいかない時、どん底な時こそ

自分自身や自分の価値観などを見つめ直し、今後自分が何をしたいかを考え、必要なら、人生の軌道修正するチャンスなのです。

だからこそ、今、どん底のチャンスタイムにいるあなた、大いに、考え、悩みましょう。

 

また

ドン底を経験することは、人間としてのパワーを最大限に高めることだと思います。

だって、負けたり、理不尽な目にあったり、裏切られたり、傷ついたりした時に感じる悲しさや怒りや悔しさって、凄まじくありませんか?

あれほど込み上げるような熱い気持ちを、私は知りません。

そういう負の感情を、起爆剤にして、「負けるもんか!」と火事場のバカ力のようにパワーに変えて進んでいけば、いつの間にかものすごいところに行ける気がします。

 

そして

どん底は、文字通り底辺ですから、これ以上、下がりようがありません。

失うものがない人間は強いです。だってプライドや信用など守るものがないのですから。

人から期待されたり、褒められたりする中で、人は、知らず知らずのうちに、守りに入りがちになると思います。

自分を良く見せようという意識や、プライドなどでがんじがらめになり、失敗を恐れるようになります。

そういうしがらみから解放されているという点で、ドン底というのは、これから挑戦し、這い上がっていくのにぴったりの境遇だと思うのです。

 

また、「人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから」という歌詞があるように、

人間としての器を広げてくれるのも、またつらい経験なのでしょう。

 

どん底は、向き合って、前に進む原動力へと昇華させるのはもちろんのこと、その時の気持ちをどこかに記すなどして、いつまでも心のどこかに大切にとっておき

守りに入っている自分、ハングリー精神に欠けている自分に喝をいれるお守りのように持っておくといいですね。

「自分は何がしたい?」を常に問う

はてな

これは、先程の逆のパターンです。

つまり、所属する集団や職場で順調にいっている人は、なんとなくでその仕事を続けがちです。

続けることは、とても素晴らしいことです。

ですが、自分は人生の中で、「こうしたい」「こうなりたい」から、この集団、企業、または環境に身をおき、これをやっている

そう自信をもって言えないという状況が問題なのです。

なぜ問題なのか?それは、人生は有限だからです。

なんとなく過ごしても、やりたいことをやって過ごしても、同じように時は刻々と流れます。

もし「こうしたい」「こうなりたい」そういうものがやっと見えてきた時、それを取り組むベストな状況・環境がそろっていない場合もあります。

そんな時、「ああ、もう少し早く取り組んでいればよかった...」そう思うかもしれません。

もちろん、人生に遅すぎるなんてきっとないけれど、やっぱり早く始めた方が可能性が広がることもたしかです。

その時に、なんとなく過ごしてしまった日々を後悔してしまわぬように、

「自分は何をしたいか?」「何になりたいか?」を常に問い続けるべきだと思います。

明日死ぬかもしれないと思って生きるべし

青い綺麗な海

前述のテーマと少し被ってしまう部分もありますが、

「人はいつ死ぬかわからない。」そうやって生きることは、とても大切だと思います。

明日やろうは、バカ野郎だという言葉がありますが、本当にその通りだと思います。

明日がやってくることは、本当に奇跡なのです。

だからこそ、自分の大切なものは何なのか?日々考えることを習慣づけながら、日々の選択をするべきだと思います。

それは仕事での自己実現かもしれませんし、愛する人を大切にすることかもしれません。

あるいは、美味しいものを食べることかもしれませんし、ひたすら漫画を読むことかもしれません。

答えは、なんでもよくて、ただ時間が限りあるものだと思ったうえで、日々の選択を積み重ねていくべきなのだと思います。

しずく坊や
しずく坊や
筆者は、そう思って、1日中漫画を読んでいる日があります。

 

いかがでしたでしょうか?

かなり抽象的な内容とはなってしまいましたが、少しでもお役に立てていれば、うれしいです。

 

最後に、絶賛人生に迷っていたり、どん底の中にいる人に、筆者おすすめの本をご紹介します。先人が成功体験から得た教訓がたくさん詰まっており、不安になった時に背中を押してくれる1冊です↓


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